500miles
有限会社 赤間板金は1960年に先代の社長である赤間 有が作った建築板金工事を行う小さな会社です。
赤間 有は北海道 丸瀬布町の出身で当時、炭鉱に囲まれ鉄道輸送においても重要な拠点でもある岩見沢市に目を着けた何人かの一人でした。
国鉄職員の家庭で9人兄妹の下から三番目の有は弟と妹に進学の道を譲り中学を卒業後、単身で小樽市の板金店で住込みで働きながら仕事を覚えたそうです。
月給は200円で1本100の羊羹を2本買ったら終わりだったと言っていました。
私は500マイルという曲の歌詞を読んだ時、当時の有が丸瀬布の駅で列車を待つ心境も同じだったのではないかと思いました。
有は持前の明るさと頭の回転の速さでいつも周りを笑わせる人でした。
岩見沢市に入ってからは近郊の農家さんたちに助けられ納屋など工事を頂いていたと話していました。
屋根の板金工事に外壁の金属サイディング工事を加えていきました。
それは時代の変化に伴い煙突作りやステンレスの流し台や天蓋などの仕事が激減したので仕方がなかったのです。
冬場の仕事の多くを失った父は最後までその事を気にしていました。
私は幼少の頃から建築現場に付いて行っていました。現場から漂う木の匂いとトンカチの音、そして大工さん達の大きな声と笑い声を今でも憶えています。
しかし私は一度も父親の会社で働こうと考えた事はありませんでした。むしろ同じ事をやっても勝てないので逃げ回っていたのかも知れません。
私は二十代の頃にお世話になった社長に働くという事、大人になるという事を教わりました。
そこで感じたのは仕事とは職種に関係なく輝こうと思えば輝けるという考えでした。
そして父の会社にお世話になる覚悟ができました。
できの悪いバカ息子でしたが、たった13年でしたが真面目に皆と一緒に現場に出て、暑さや寒さズブ濡れの気持ち悪さ、強風の怖さ、
空の美しさ、風の気持ち良さ、夕焼けの美しさ、渡り鳥の躍動感などを感じ少し逞しくなれました。
父親が他界して8年を過ぎて今は会社に従事してくれている仕事の仲間やその家族、また自分を支えてくれている家族を守る為に何でもやれる気持ちです。
rain speaker はその1つ、ずっと前から超えなきゃいけない最大の課題、どうしても冬を凌ぐ為に良いものを作らなきゃいけないんです。
代表取締役 赤間年幸